不正プログラムからの脱却支援

あくまで108理論の補助輪的な位置付けとしてお使いください。

私の「願望実現」の感想

こんばんは。

やんぴです。

 

既にこのブログの

ごあいさつ

の記事をお読みいただいた方や

 

108さんの動画のコメントで

私のコメントを見られた方は

既にご存知かと思いますが

 

私は「不足を疑う」を経て

 

「ずっと欲しかった」

「けれど私には手に入れられないと思っていた」

「ゲーミングPC(20万円相当)」を

 

知人から、タダで、

譲っていただけることになってしまいました。

 

そして今日(記事更新時点では昨日)、

実際にそれが手元に届き、

そして実際にそれを触って楽しみ、

気づいたことがあったので、

共有します。

 

【気づいたこと】

ずっと欲しかったものを手に入れた「喜び」、

私の物となったそれに

実際に触れたときに感じた「嬉しさ」は、

 

「不足を疑う」を経て、

知った「充足」には、

「到底及ばなかった」です。

 

【補足】

決して、いただいたゲーミングPCが

期待はずれだった、とか

そういった意味ではありません。

 

むしろ、期待以上のパフォーマンスで

ずっとやりたかったゲームを

「最高画質」の設定で、

楽しめてしまうぐらいです。

※「中」程度の画質で楽しもうと思っていました。

 

それと、

私が「喜ばなかった」「嬉しくなかった」

わけではありません。

喜びましたし、嬉しいです。本当に。

知人にはとても、感謝しています。

 

けれど、

けれどね、

私は、これを手に入れる「過程」で既に

 

「何をしていても」

「何もしていなくても」

「いつでも」

「どこでも」

「今この瞬間に」

「既にある」

「無制限な」

「充足」を

「知ってしまっている」のです。

 

20万円相当のゲーミングPCは

私にとって「価値の高いもの」でした。

けれど、それを得る過程で、

私は、私がずっと持っていた

「最高に価値があるもの」に

「気づいてしまった」のです。

 

ゲーミングPCの価値が下がり、

それに伴って

私の、喜びや嬉しさが下がった、というより、

 

ゲーミングPCの価値は高いままで、

喜びや嬉しさも、

手に入れる前に想定していた以上で、

 

けれど、それとは比べ物にならないぐらい

そして、おそらく他の何とも比べ物にならない

最高に価値が高いものを

私は「もう、持っていた」のです。

「充足」という「無限大」なものを。

 

喜ぶんだけど、嬉しいんだけど、

それも、もう

「夢のような」ではなくなっていて、

「知っている範疇」になっていた

というような感じです。

 

【その他】

なんだか改めて、

108理論に触れて、実践を通して、

「私、変わったな~」って感じです。

 

昔の私なら、

ここで飛び上がるように喜んで、

そこからまた、さらに価値のあるものを

「引き寄せよう」として

また引き戻されていたんだと思います。

 

「なーんだ、やっぱり、もう、いいのか♪」

 

ゲーミングPCを譲ってもらえる連絡が

急に入ってきたあの時のように、

今もただただ

そんな感覚に浸っている状態です♪

 

以上が、私の「願望実現」の感想でした。

心の状態や姿勢など

何かご参考になれば幸いです。