不正プログラムからの脱却支援

あくまで108理論の補助輪的な位置付けとしてお使いください。

「悟り」という「罠」

こんばんは。

やんぴです。

 

今回のタイトルは

「『悟り』という『罠』」です。

 

すこし堅いタイトルですが

お付き合いいただけると幸いです。

 

【これを取り上げた理由】

私が、今、最も

「気をつけている」ことだからです。

 

このブログを経て

私と同じような進め方をしている方が

すでに現れ始めているので

その方々の今後の参考のためにも

書いておきたいと思いました。

 

【ここで言う「悟り」とは】

「悟り」という「概念」です。

「悟った」という「認識」です。

 

【なぜ「罠」なのか】

私達の「目的」は

108さんも、このブログでも

何度も何度も言うように

「充足」です。

 

「悟り」という「概念」

「悟った」という「認識」が

「充足」を阻害しかねないので

「罠」という表現を使っています。

 

【「悟り」が「充足」を「阻害する」とは】

「充足」とは

何にも制限されることなく

「今この瞬間」「既にある」ものです。

 

それに「気づいた」瞬間

全てが「理路整然」となっていきます。

 

それは言葉として表すなら「悟り」です。

「わかった」という状態です。

 

そしてその「理路整然さ」に基づいて

「悟った」という「認識」が生まれます。

「私は悟った」という「認識」です。

 

この概念、認識自体は

それ自体として

良いものでも、悪いものでもありません。

この概念、認識自体が

「充足を阻害する」わけではありません。

 

罠はあくまで

それらの概念、認識を抱いたときの

「私達側」にあります。

 

あまりにも「理路整然」なので

そして「わかった」となるので

次に私達がとりかねない姿勢として

次のことが挙げられます。

 

「『わかったこと』に『基づいて』生きよう」

「『悟った』状態で、生きよう」

「『悟り』に『基づいて』生きよう」

 

これが「罠」なんです。

 

【「悟り」は「結果」でしかない】

「悟り」は「結果」です。

 

何の結果かと言うと

「充足」の「結果」です。

 

「悟り」は

「論理を組み立てて出来上がったもの」

ではありません。

 

私達が「充足」を享受した「結果」

「勝手に論理が組上がっていたもの」

です。

 

「悟り」が先ではありません。

「充足」が先です。

「充足」の「結果」が「悟り」です。

 

「充足」の「結果」

「悟り」がそこに現れても

 

「充足」に基づいた姿勢から

「悟り」という「結果」に基づいた姿勢をとろうとするなら

 

いかに「悟り」が「崇高」に思えても、

その姿勢は「誤り」です。

 

その姿勢は

「不足を消そうとする」ときの姿勢と

全く同じです。

 

エゴの範疇からの

「思考」に基づいた姿勢となります。

 

「悟り」が見えたのなら

いかにそれが「崇高」に見えても

それを映し出したのは

「充足」であることを、忘れてはいけません。

エゴの範疇に、また戻ってしまわないように。

 

【「充足」が「目的」】

「悟り」は「充足」という「目的」の

「結果」でしかありません。

 

「充足」の「結果」

いかにも「正しく見える」

「悟り」という「概念」「認識」が現れたとしても

 

私達がとるべき態度は

これまでと変わりません。

 

「充足」という「ゴール」に居続けること。

「今この瞬間」「充足」を「享受」し続けることです。

 

 

今回はこのへんで。