どうも、やんぴです。
今日も「不足を疑う」について
少しばかりお話を。
「不足を疑う」で
疑っているのは何かと言いますと
「現実」なんですよね。
本当は
「認識」⇒「現実」。
なのに、
「現実」⇒「認識」として
いつの間にか私達は生きてしまっているわけです。
そこで「不足を疑う」を通して
「現実」を疑うわけです。
「現実」⇒「認識」の連鎖を
一旦止められるわけです。
そこから
「あ、なんだ、『不足』ってないじゃん」となれば
「認識」⇒「現実」な訳ですから
「不足のない現実」が現れてくるわけです。
正しい順序に戻るわけです。
シンプルですが、
「不足を疑う」で大切なことは、これだけです。
せっかくなので
もう少し言うと
「現実」⇒「認識」とやっている間
私達は「現実」の
「○○という私」から動くことができません。
「お金」で言うと
「現実」で「お金がない」なら
そこから判断して
「お金がない私」という「認識」を生み続けてしまうので
どれだけ、何をやっても
その「お金がない私」という「認識」から
「お金がある私」という「現実」は
生まれる訳がないのです。
それが、シンプルな「法則」
所謂「引き寄せの法則」です。
「不足を疑う」でやることは
「現実」から判断した
「○○な私」を「やめる」ことです。
その結果「現実」に左右されない
「何者でもない私」となることです。
すると
「何者でもない私」は
「お金がない私」ではないわけですから
次の瞬間に
「お金がある私」という「現実」が
現れる「余地」が生まれるわけです。
すると
シンプルな法則に則って
必ず「お金がない私」ではありえなかった
「お金がある私」を感じる「現実」が
差し込まれてくるわけです。
そうしたらあとはそのまま
それがあなたの望むことなわけですから
「あ~、私、お金あるんだ~♪」と
「認識」すればいいわけです。
そうしてその「認識」が
また次の「お金がある私」という「現実」を
生み出してくれるわけです。
これが「引き寄せの法則」の「使い方」です。
「不足を疑う」と一言で言うと
つまり、何をどうすれば?となりがちですが、
私の立場から、今一度要点を申し上げるのであれば
「不足を疑う」の要点は
「何者でもない私」になることです。
そこには
「何者でもある私」があるからです。
そこにはこれまでの
「○○な私」では見えなかった景色が
ひろがっているからです。
今回は短いですが
「不足を疑う」において
「核」となってくるようなことを書いてみました。
ご参考にしていただければ幸いです。
では、今回はこのへんで。