不正プログラムからの脱却支援

あくまで108理論の補助輪的な位置付けとしてお使いください。

【不足を疑う】何者でもない私 = 何者でもある私

どうも、やんぴです。

 

今日も「不足を疑う」について

 

少しばかりお話を。

 

 

「不足を疑う」で

 

疑っているのは何かと言いますと

 

「現実」なんですよね。

 

 

本当は

 

「認識」⇒「現実」。

 

 

なのに、

 

「現実」⇒「認識」として

 

いつの間にか私達は生きてしまっているわけです。

 

 

そこで「不足を疑う」を通して

 

「現実」を疑うわけです。

 

「現実」⇒「認識」の連鎖を

 

一旦止められるわけです。

 

そこから

 

「あ、なんだ、『不足』ってないじゃん」となれば

 

「認識」⇒「現実」な訳ですから

 

「不足のない現実」が現れてくるわけです。

 

正しい順序に戻るわけです。

 

 

シンプルですが、

 

「不足を疑う」で大切なことは、これだけです。

 

 

せっかくなので

 

もう少し言うと

 

「現実」⇒「認識」とやっている間

 

私達は「現実」の

 

「○○という私」から動くことができません。

 

「お金」で言うと

 

「現実」で「お金がない」なら

 

そこから判断して

 

「お金がない私」という「認識」を生み続けてしまうので

 

どれだけ、何をやっても

 

その「お金がない私」という「認識」から

 

「お金がある私」という「現実」は

 

生まれる訳がないのです。

 

 

それが、シンプルな「法則」

 

所謂「引き寄せの法則」です。

 

 

「不足を疑う」でやることは

 

「現実」から判断した

 

「○○な私」を「やめる」ことです。

 

その結果「現実」に左右されない

 

「何者でもない私」となることです。

 

 

すると

 

「何者でもない私」は

 

「お金がない私」ではないわけですから

 

次の瞬間に

 

「お金がある私」という「現実」が

 

現れる「余地」が生まれるわけです。

 

 

すると

 

シンプルな法則に則って

 

必ず「お金がない私」ではありえなかった

 

「お金がある私」を感じる「現実」が

 

差し込まれてくるわけです。

 

 

そうしたらあとはそのまま

 

それがあなたの望むことなわけですから

 

「あ~、私、お金あるんだ~♪」と

 

「認識」すればいいわけです。

 

そうしてその「認識」が

 

また次の「お金がある私」という「現実」を

 

生み出してくれるわけです。

 

これが「引き寄せの法則」の「使い方」です。

 

 

「不足を疑う」と一言で言うと

 

つまり、何をどうすれば?となりがちですが、

 

 

私の立場から、今一度要点を申し上げるのであれば

 

「不足を疑う」の要点は

 

「何者でもない私」になることです。

 

そこには

 

「何者でもある私」があるからです。

 

そこにはこれまでの

 

「○○な私」では見えなかった景色が

 

ひろがっているからです。

 

 

今回は短いですが

 

「不足を疑う」において

 

「核」となってくるようなことを書いてみました。

 

ご参考にしていただければ幸いです。

 

 

では、今回はこのへんで。