およそ12年前の
108質疑応答スレより以下を転載します。
「引き寄せ」の「根本的」な考え方、
「願望実現」「充足」についてのご理解に
とても役立つ内容となっています。
(私も何度も読み返しています)
ご参考まで。
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243 :幸せなもぎりさん:2009/03/04(水) 22:46:23 id:koawxBlM0
引き寄せ達人のみなさま、アドバイスをお願いします。
質問は2つです。
1
いまの生活に多少の不安・不満があるのですが、なにがどうなれば自分にとって最高の幸せと なるか分からないのです。こういう場合、とりあえず、幸せや豊かな気持ちになれば、 自分にとって最高のものが形となって現れるのでしょうか?
2
うえの1.の答えが「YES」だとして、 いま現状に不安や不満があるのに、幸せな気持ちになるコツは?
ほんの4,5秒なら、そんな気持ちになれるのですが、どうしても「○○があればもっと幸せだ」 とか勝手に考えがどんどこドシドシでてきて、もう苦しくてたまりません。
どうやったら、いまの状況のなかでも幸せ・安心・満足にどっぷりつかれるのでしょうか?
1601 :108★:2009/04/23(木) 01:20:57 ID:???0
>>243
あなたの質問に対しては、まず包括的にお答えします。
>どうやったら、いまの状況のなかでも幸せ・安心・満足にどっぷりつかれるのでしょうか?
あなたは今の状況の中では、幸せや安心・満足感には浸れません。 なぜなら、状況と自分の幸せとを関連づけているから。
また、現状に不安や不満を持ちながら、幸せな気持ちになれるはずがない。 そんな実行不可能で無謀な挑戦は、自殺行為に等しいので止めた方がよい。
あなたが状況と自分の幸せとを密接に結びつけている以上、 あなたの幸せは常に状況次第になってしまいます。 何度も言いますが、これでは順序が逆です。
あなたが状況と関連なく、常に幸せを選択できるようになれば、 あなたにとっての状況は、その選択した属性を次第に帯びてきます。
状況→あなたの選択
ではなく、
あなたの選択→状況
これが正しい順序です。
もう少し細かくいうと、あなたの場合、
(負の)状況→(それに従った)あなたの選択→(それに従った)状況→ …
こういった連鎖構造で「負の状況発端の負のスパイラル」に陥っています。これを解除するためには、
(負の)状況→(それと関係なく)あなたの選択→(それに従った)状況→ …
こうすればいいのです。
状況を好転させるには、あなたのたった一回の選択で済むことが分かるでしょう。 チケットのメソッド類(「完璧だ」「この状況は私にとって素晴らしい」etc.) の原理もご理解頂けると思います。
チケットのメソッドで効果が現れた人は、この選択の力を体感しているはずです。 状況と思えるものを受け取ったとき、その後の選択如何によって、 無限に分岐する現実のポイントを切り替えているわけです。
状況に対して、もっともらしく律儀にリアクションすることが、 如何に馬鹿馬鹿しいことか、よく分かるでしょう。
さて、あなたのご質問1に対する答えは「はい」です。 質問2に対しては、上で述べたとおり。 現状と見えているものにリアクションせず、あなた自身で属性を決定する。 そうしたら、あなたにとって幸せを感じることに没頭すればよい。
瞑想や今メソッドもお勧めします。
上で書いたとおり、神を直に体験することになり、そこではエゴによるガヤガヤとした 思考を除外して、安心や幸せを直に感じられるからです。現状と一切関係なく。
どうしても不安を感じるなら「神にお任せ」メソッドをお勧めします。 手に負えないことは全て神に任せてみてください。
1654 :もぎりの名無しさん2009/04/25(土) 00:50:24 id:koawxBlM0
108さん
>>1601でアドバイスを頂いた243です
レスを頂けるとは思っていなかったので、ありがとうございます。
「完璧だ」も2ヶ月ほどしたのですが、心は毎日苦しいばかり。 不満な状況を変えたいという気持ちからメソッドをしたのがいけなかったのでしょうか。 疲れきってしまって、もうダメだ、神の手に委ねようかと今日決めたところです。 このタイミングでレスを頂けたのも、なにかの導きかもしれないです。
他力本願といいますか、神様に委ねてみて、 自分が何もしないのは実は大変な勇気がいることに気がつきましたが、 完璧だメソッドも今のところうまく効果がでていないし、 とにかくもう疲れたので神様に徹底的にお任せします。
不安や苦しみがでてきたときは、
「神の御手によってすべて解決される」ことを思い出すようにします
108さんのレスには愛を感じます。ありがとうございました。
3319 :108★:2010/07/07(水) 02:40:45 ID:???0
>>1654
> 他力本願といいますか、神様に委ねてみて、 自分が何もしないのは実は大変な勇気がいることに気がつきましたが、
そうです。これは非常に重要な気づきです。 ここは大事な部分なので入念に説明します。
神様にすべて委ねたとき「勇気がいる」と感じるのは次ような理由からです。
「何もしないで手をこまねいていては、事態はどんどん悪化する」
「何らかの現実的な取り組みをしなくては、状況が改善されるはずがない」
「必死に努力したものだけが状況を打開することが出来る」
「頑張っても事態が悪化したのに、ほっといたくらいで改善されるわけがない」
「何もしないでいる者を、神がお救いになるはずがない」
「何もしないというのは怠惰なことに他ならない。つまり罪である」
「罪であるなら神が罰を与えるはずである」
「よって私は不足を経験するに決まっている」
…まだまだいくらでも挙げることが出来ますが、概ねこんなところです。
あなたに限らず多くの人がこのような思い込み、つまり信念を持っています。 あなたはこれらの信念によって、十全であるものに制限をつけています。
そしてその制限に沿った形で、十全であるものを部分的に経験しようとしている。
十全とは完全でまったく欠点のないことをいいます。 完全であるものは、思考による条件付けなどからなんら制限されていません。
ここに木彫りの人形があるとします。 この人形は、元々大地にそびえ立っていた大木から切り出された材木が材料です。
その材木を「こうあるべき」という任意の形に削り取っていった結果、木彫りの人形が出来上がりました。 ですが、これは元々の大木であった状態から考えれば、大きくそぎ落とされ、 極めて制限された非常に部分的なものであることが分かると思います。
これが不足の正体です。
あなたが制限しなければ、それは本来十全な状態なのです。 あなたの現実は実際には木彫りの人形などではありません。 実際のあなたは十全であるものに制限をつけることなど出来ません。 そんな能力は持ち合わせていないのです。 あなたは単に、
「私はこれこれこういう木彫りの人形である」 という条件付けにしたがって、そのように振る舞っているだけなのです。
その結果あなたは、木彫りの人形として経験できる部分だけに知覚を制限し、 それ以外の部分の経験について知覚を遮断しているに過ぎないのです。
あなたが自分を木彫りの人形だと信じ込んでいるている以上、 あなたはその制限された能力を頼りにすることになる。 そして当然のことながら、それは十全に働き得ない。
あなたが木彫りの人形として振る舞うことを止めれば、 あなたはその制限された仮想的な能力を頼りにすることはなくなる。 そうなれば本来ある十全な能力が働く余地があなたの知覚に入って来る。
それは何らかの能力を失うようなことではなく、本来ある十全な能力に譲るということなのです。
つまり「神様にすべて委ねる」とは、木彫りの人形であるという仮装概念を放棄することです。 そのことに対して、何ら恐れを感じるようなことはない。
不安や苦しみがでてきたときは、
「神にすべてを譲り、私が自ら設定したこの制限を放棄します」
こう断言してみてください。
(「108質疑応答」より)