不正プログラムからの脱却支援

あくまで108理論の補助輪的な位置付けとしてお使いください。

「不足を疑ったのに現実が変わらない」人へ

こんばんは。

やんぴです。

 

 

108さんのYoutube

「不足を疑うpart12」が公開されましたね。

(https://youtu.be/f0oImDR-oa0)

 

今回も、大切なことを

たくさん話されていましたね。

 

動画を見ていた中でふと思い立ち、

今回は以下のコメントを残させていただきました。


f:id:Yanpichan:20210827172839j:image

全文が気になる方は、

108さんのコメント欄の方でご覧ください。

(https://youtu.be/f0oImDR-oa0)

 

結構シンプルに、

わかりやすく書けたと思いますので

何か手掛かりになればと思います。

(近々、このブログでも全文を掲載しますね)

 

 

さて、↑のコメントにも

「知覚不全」というキーワードで

関連するのですが、

 

今回はタイトルの通り

 

「不足を疑ったのに現実が変わらない」

となっている人へ

 

手掛かりになるかもしれないことを

私なりに記してみます。

 

よければ参考にしてみてください。

 

 

まず「不足を疑う」について

どういうことか、おさらいしてみます。

 

 

「不足を疑う」とは

 

たとえば、あなたの銀行口座の残高が

1万円だったとして

そしてあなたがその現実に苦しんでいたとして

 

あなたが残高照会をしたときに表示される

 

¥10,000

 

に対して

「本当か?」とする試みのことです。

 

 

この「不足を疑う」は

108さんの言うところの

「知覚不全」に基づいた試みです。

 

「現実」が「正しく知覚された結果」なら

疑う余地もないですから

「知覚不全」に基づいて初めて

「不足を疑う」という選択肢が出てきます。

 

「知覚不全」に関しては、

108さんがDEBUGで以下のように記しています。

 

 

「あなたが現在知覚している現実は、実際の有様を正しく反映していない」(DEBUG p.37)

 

 

「知覚不全」の為、私達は実際の有様を正しく認識できていない。

 

だから、

 

「現実」 で「不足」が

いかにもあるように見えるが、

それは実際の有様が正しく反映された結果ではない。実際の有様では「不足」は存在しない。

 

と言うことができて

 

「不足を疑う」という形で、

「知覚不全」を受け入れた結果

 

「実際の有様」としての

「充足」が映り込み(「荷が下りる」「向きが充足へ向く」)

 

ついには「不足」が消える。

といった感じです。

 

私の数々の不思議な体験も、

この流れに沿っています。

 

 

それを踏まえて、ここからは

もう少し詳しく見ていきましょう。

 

 

あなたの銀行口座で

残高照会をしたときに表示される

 

¥10,000

 

これは「現実」です。

目の前のATMの残高表示画面に

複雑な銀行のシステムを通して

「現実」がハッキリと表示されます。

※★ただし「実際の有様」ではありません★

 

 

この「¥10,000」という「現実」を

「知覚不全」の立場から「疑う」

というのが「不足を疑う」です。

 

もっと短く言い換えると

「不足を疑う」とはつまり

「現実を疑う」と言うことができます。

「知覚不全」の立場から、です。

 

 

「不足を疑う」とは

「知覚不全」の立場をとって

「現実を疑う」ということ。

と言い換えることが可能なようです。

 

 

ここまで整理した上で

「不足を疑ったのに現実が変わらない」

を見ていくと

おかしな点に気づくかと思います。

 

「不足を疑ったのに」の部分を

↑の整理の結果、言い換え可能となった

「現実を疑ったのに」に置き換えてみましょう。

 

 

「現実を疑ったのに、現実が変わらない」

 

 

怪しくなってきましたね。

現実を疑っているのか

はたまた現実を信じているのか

よくわからなくなってきました。

 

もう少しわかりやすくするために

それぞれに()で、立場を示してみます。

 

 

「現実を疑った(知覚『不全』の立場)のに、現実が変わらない(知覚『完全』の立場)」

 

 

言っていることも

おかしなことになっていますし

立場としても

おかしなことになっていますね。

 

 

「現実を疑いながら、現実を信じている」

 

 

これが

「不足を疑ったのに、現実が変わらない」

という人が陥ってしまっている状況です。

 

 

なので、私達の感じ方としては

 

「不足が一瞬消えたように感じて」

(荷が下りた感覚に一瞬なって)

 

「やっぱり不足があるように思う」

(やっぱり不足に飲まれる)

 

となるわけです。

 

 

あり方の通りのことが現れていますね。

 

 

この状況を打開するためには

どうしたらよいか。

 

それが、

108さんや他の達人さん達がしきりに言われている

 

「叶えるためにやらない」です。

「不足を消そうとしない」です。

「単に疑う」です。

 

そしてそれらは同時に

「知覚不全の立場をとり続ける」ということです。

 

 

「知覚不全の立場をとり続ける」人にとっては

「現実が変わらない」ということが

「問題」になってこないんです。

 

なぜなら

「不足を疑った」あとに映る

「現実」もまた

「知覚不全の結果」だからです。

信じるに値しないもの、だからです。

なので、それを根拠に

「問題」を提起する必要がなくなるのです。

 

ちなみに、

「知覚不全の立場をとり続ける」人にとっては

「現実で何をすべきか」ということも

「問題」になってこないんです。

 

なぜなら

何かをする場である「現実」もまた

「知覚不全の結果」だからです。

信じるに値しないもの、だからです。

 

「知覚不全の結果」なのだから

その「知覚不全の結果」における

色々な「決まり」「ルール」とされているものも

「問題」になってこないんです。

 

その「決まり」「ルール」が展開される、

「現実」自体がそもそも、

信じるに値しないもの、だからです。

 

だから、ただただ、

自分の「充足」「楽になる」という

「実際の有様」を、あらゆる基準とするのです。

これこそが「信じるに値するもの」だからです。

 

108さんが、

引き寄せの法則の達人でありながら

「現実的対処」を勧めることに

矛盾が生じないのも

このことによって、です。

 

※「引き寄せの達人なんだから、現実的対処はせず、引き寄せで解決しないと、矛盾が生じるんだ!」なんてことが、問題にあがってこない。

 

 

逆に言うと

「叶えるためにやらない」ができない、

「不足を消そうとしない」ができない、

「単に疑う」ができない、

「メソッドとして正しいのか」が不安になる、

「不足を疑うに『のせてしまう』」というような時は

 

「知覚『完全』の立場をとってしまっている」ということも言えます。

 

 

色々言いましたが

「実際の有様」「充足」が見えてくるのは

「知覚不全」の立場から、です。

 

 

もしあなたが今

「現実が変わらない」と思っているのなら

 

あなたは今

「知覚『完全』の立場をとってしまっている」

ということです。

 

「『現実が変わらない』と思ってはいけない」

ではありません。

 

「知覚不全」の立場からは

そんなことは「気にならない」ということです。

そもそも、変えようとしている「現実」が

「知覚不全の結果」だからです。

 

 

今これを読まれているあなたが

このような状況に陥っている場合は、

 

108さんも繰り返し繰り返し言われている

「知覚不全」ということを

今一度思い返してみたり

 

「知覚不全」に特化して書かれている

DEBUG、DEBUG2を読んでみたり

 

過去の108さんの

「知覚不全」についての動画を見てみることが

 

この不正プログラム脱却の手掛かりになるかと思います。

 

このブログでも掲載した

「U4式」を読んでみるのもいいかもしれませんね。

 

 

今回は

「知覚不全」をキーワードに

「不足を疑ったのに現実が変わらない」における

問題と思われることについて、

私なりにまとめてみました。

 

参考になれば幸いです。

 

ではこのへんで。